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2月日本YEG活動報告

 今年度の日本YEG活動の集大成となる、第31回全国大会 越中富山大会が開催されました。昨年の震災直後は、日本中が混乱の中にあり、こうした大会を含むあらゆる行事の開催さえ危ぶまれましたが、昨年3月の終わりに正副会長で大阪に集まり、徹夜で議論を重ね、「厳しいことを承知の上で当初予定されていたすべての日本YEGの事業を行う。併せて、『笑心(笑顔)をあわせて力に変えよう。』というサブテーマを採択し、全ての日本YEG行事に掲げること。」を決めました。こうして行われた全国大会は、正に日本YEG活動の真価が問われる大会であり、日本YEG全国大会の今後の存在価値さえ規定しかねないものだっただけに、本大会関係者の思いの壮絶さは、元ブロック代表理事としても想像に余りあるものがあります。しかし、尾山大会会長、山田実行委員長というカリスマ的な二人の元で、登録人数なども記録的な数に達し、なによりも記録以上に記憶にも残る大会となったことは、今年度、彼らの苦楽を間近で見てきた一人として、感無量でした。また、多くの伊勢YEGの皆さんが、遠い中、また、記録的な豪雪の中をお越しいただきましたことも、ながく私の中で心温まる思い出となりそうです。
 さて、2月は、他にも多くの行事がありました。
 月の頭には、3日4日とカリアックにおいてビジネスプランコンテスト合宿があり、伊勢からは予選を勝ち抜いた畑佑樹君が参加しました。私も1日半の間だけでしたが、彼のサポートにつかせていただきました。残念ながら受賞はなりませんでしたが、合宿中の彼の集中力の高さと、夢を現実に変えることができる類稀な行動力に伊勢YEGのみならずより大きな舞台で役割を担うだけの十分なポテンシャルを感じたことが、何よりの収穫でした。二日目午後からは、後ろ髪をひかれつつ彼を残し、私は豊橋YEGの20周年の事業に参加し、その後、帰路につきました。
翌第2週は、9日に愛媛県松山での『青年経済団交流フォーラム』に参加してきました。今年、松山からは、日本YEG、日本JCそして、法人会青年部の全国組織の会長が揃って輩出されるという、おそらく全国どこの都市においても空前絶後の出来事があり、3人のトップが共に壇上で語り合うという企画のもと、全国においてもYEGの存在感の強さを確認することが出来ました。そして、この週末には伊勢の25周年事業があり、全国からも多くのご登録をいただき、伊勢YEGの元気を日本中のYEG関係者に知らしめる周年事業になったことはご承知おきの通りです。
翌週は、15日に長野県須坂五岳ローターリークラブで、日本YEG副会長として卓話を行った後、小林専務と共に富山に入り、前述の全国大会越中富山大会で感動の4日間を過ごし、大会終了直後からは、安田元日本YEG東地区担当副会長の車で、福島県須賀川に向かいました。これは、この一年間、日本YEGの東日本復興支援チームリーダーとして、悩み迷いしながらここまで活動をしてきましたので、年度の終わりを迎えるに当たり、どうしても、自らもう一度被災地に出向き、現地の方々の生の声を聞き、そして、必要なことは次年度に伝えていかなくてはならないと思ったからでした。二日かけて、須賀川から放射線汚染が続く飯館村を通り、原発近くの南相馬に入って、現地で声を聞いてきました。また、改めて原発から20キロの封鎖地点まで行き、道路封鎖されているまるで現実離れしたようなこの現実をどうとらえて良いのか、あらためて考えました。続いて仙台に向かい企業経営者に話を聞き、帰路につきました。帰りの新幹線の中では、私個人としての震災についての思いと提言をまとめ上げました。この一年間、多くの肩書を背負ってしまい、結果的に日商親会や監督官庁に気を遣いながら、多くの言葉を飲み込んできてしまいましたが、やはり最後には鈴木成宗個人の考えを置いておく責任があると考え、全ての思いを吐き出した文面を書きました。現年度、次年度の二人の日本YEGの会長に渡しましたが、二人から是非役員全てに伝えてほしいという言葉をいただきましたので、いずれどこかの機会で、話をすることになるはずです。
20日に6泊7日の旅から伊勢に戻り、中二日置いて、23日は、日商の中小企業会計専門委員会に日本YEG代表として出席をしてきました、IFRSへのコンバージョンについて中小企業としてどうとらえるべきかという提言を政府に上げるための委員会ですが、弊社のような規模のほとんどの中小零細企業にはあまり関係が無い話で、むしろ、判りやすい企業会計の在り方について、ダイレクトコストの方法を税法でも取り入れていただくことで、税務・企業会計・企業管理が連動できるはずだと主張してきました。言い過ぎたかと思いましたが、その後、委員として出席されている大学教授から、全くその通りであり、現在置き去りにされている最大の懸案事項がそれなのですとご発言をいただきホッとしました。
一日おいて、25日には、美濃加茂YEGの周年事業に参加してまいりました。私がブロック代表理事の時に日本YEGに加盟いただいた単会ですので、日本YEGの役員会にオブザーバーとして出席をして、加盟可決時に涙を流していた当時の美濃加茂YEGのリーダーの皆さんの顔を今でも思い出し、感慨深い周年でした。
間もなく今年度の終わりを迎える今、4年間にわたって関わった私自身の日本YEG活動の集大成として、最後の活動をしています。やり残すことなく、燃え尽きてしまいたいと思いますので、あと少し、ご支援をよろしくお願いいたします。

直前会長 鈴木成宗



2月例会 伊勢商工会議所青年部設立25周年記念事業


 2月11日(土)伊勢市二見町にある伊勢・安土桃山文化村にて、伊勢商工会議所青年部設立25周年記念事業が執り行われました。北は北海道、南は九州、日本各地からご来場され、総勢300名を超える事業となりました。オープニングとして、玉城わかば学園和太鼓クラブに演奏していただき記念式典が始まり、式典の中では、昭和61年11月に若松会長のもと設立され現在に至るまでの歴代会長も紹介させていただきました。記念講演では、スキンガードなど多数のヒット商品を生み出してきた潟}ーケティングコンセプトハウス代表取締役梅澤伸嘉氏による「ヒットする商品にはワケがある 消費者がほしくなるにはワケがある」との演目で講演していただきました。講演後、一度会場を出ていただき、同じ園内にある山田奉行所に場所を移し、芝居を披露していただきました。終始笑い大いに盛り上がりました。そして、「まつり」をテーマとした祝賀会。料理やアトラクションに一同楽しみ、皆で舞台を囲み「じゃこっぺ」「伊勢音頭」を踊り、会場は大いに盛り上がりました。周年事業としては類を見ないくらいの熱い事業の1日となりました。

伊勢おもてなし委員会副委員長 徳田聖之



日本YEG全国大会越中富山大会


2月17日(木)〜19日(土)日本YEG全国大会越中富山大会に行ってまいりました。富山県を中心に北陸方面は26年ぶりの大雪というあいにくの天候で、鉄道や飛行機などダイヤ乱れや欠航が相次ぐ中でしたが、伊勢YEGはなんとか往路全員無事で到着することができました。
尾山大会会長率いる越中富山大会は「YEG一揆」という銘打つ気持ち高ぶる熱い大会でした。大雪の影響も関係なく全国から4000名を越える熱い気持ちのYEGメンバーが集まり迫力のあるものとなりました。
伊勢YEGメンバーも前泊者懇親会から参加し、18日は各分科会からビジネスプランコンテスト、大懇親会、19日は記念式典・講演などいろいろ参加いたしました。多くの刺激がありましたが、一言でいうなれば「心、義理、人情」そんな言葉に代表される気持ちの入った大会でした。最後には解団式まで見学させていただいたのですが、大会会長、実行委員長などスタッフ一同の心のこもった大会への想い、涙ながらのスピーチには強く心を打たれました。
また今回のもう1つのテーマは卒業旅行、伊勢YEGで今年度卒業を迎える方々の記念の企画でもありました。帰路、バスの中で大会での感想をそれぞれ語り合う中で、いろいろなYEGの思い出も込み上げ、卒業メンバー含め自然と涙が溢れてきました。
この大会を通じ「心で語る」YEGメンバーとそこにある貴重な「絆」を強く感じることができました。
多忙の中、大雪の中、遠方までご参加いただいた皆さま本当にありがとうございました。

 

伊勢WA委員会委員長 石川雄一朗



豊橋20周年記念事業


 去る2月4日、豊橋YEG創立20周年に出席してきました。
私達も伊勢YEG設立25周年の事業を翌週に控え、スケジュール的にも厳しい中での参加でしたが人の繋がりを大事にしたいという思いと、豊橋のおもてなしを見ておきたくて行かせていただきました。
記念式典の後、記念講演があり、「未来創造フォーラム」〜「これからの日本と地域活性化」を考えると題して、たかじんのそこまで言って委員会で見る勝谷誠彦氏と宮崎哲弥氏が登場され、未来は一人ひとりが自分で考え、自分で確かめ、自分で行動することだ、と言われた事が深く考えさせられました。
祝賀会においては歴代会長の方々がキャンドルの火を順番に灯し、20本のろうそくに点火するシーンが感動でした。
最初は料理、アトラクション等自分達とつい比べてしまっていましたが、その中で課題とともにやはり「自分達らしさ」を見つける事が出来た事、「やっちゃえばええじゃないか!」と言える豊橋YEGのおもてなしの精神、いい勉強をさせていただきました。

伊勢WA委員会 副委員長 田中真理子

 

 

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